鎮座地 岐阜市長良天神1972番地1 御祭神 菅原道真公 境内地 約5,000坪 主要建物 本殿・拝殿(享和元年)祭文殿(昭和39年)社務所(昭和41年)神門・参集 殿(昭和43年) 拝殿翼廊(昭和47年) 本殿解体修理・祝詞殿(昭和59年) |
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承久年間(1219〜1221)美濃国の目代に任じられた、北面の武士斎藤帯刀左衛門尉親頼(さいとうたてわきさえもんのじょうちかより)を祖とする、美濃国の斎藤氏が氏神として、当神社を勧請す 寛正年間(1460〜1466)斎藤帯刀左衛門尉利藤が本殿を造営し、永正年中(1504〜1520)斎藤帯刀左衛門尉利安及長井越中守長弘によって本社を修復し、天正16年(1588)池田三左衛門輝政社壇を構築寄進す 江戸時代長良が尾張藩の所領となるや、尾張藩も亦当神社を尊崇し、藩主代替わりの都度に代参の派遣を恒例とし、七代宗春侯・九代宗睦侯・十二代齊荏侯は、親しく当社に参拝の事あり。また尾張の支藩高須城主も、本家と同じく篤い崇敬を寄せ、十代藩主義建侯は二度に亘って、心願と報賽の故を以って神額を奉納されている。 かく武門の篤い尊崇が寄せられたので郷民の崇敬も亦厚く、長良三郷の惣社と仰ぎ、慶長年間(1596〜1614)に社殿の造営、元和年間(1615〜1623)に拝殿の再建、享和元年(1801〜1803)本殿の造営(現存)、嘉永5年(1852)に拝殿の造営(現存)を奉仕する等、古来より神威の高い神社である。 昭和34年伊勢湾台風により、森厳な森の大木が倒伏、社殿が破損し昭和36年復興造営奉賛会設立、祭文殿新築・社務所新築・神門新築・参集殿新築・祝詞殿新築・翼廊増築・境内整備が行われ昭和61年完結し社頭の尊厳が一新、神威ひときわ高く輝き、現在に至る。 |
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十代高須藩主徳川義建侯自筆 | ||||||||||
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嘉永元年三月四日 | 副 額 | 嘉永五年三月 | ||||||||
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