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長良天神神社は、学問文化の守護神、菅原道真公を祀る神社です。

池田輝政公が御本殿石垣を寄進



 本殿を鎮祭する社壇は、南面の表幅が40尺(約12m)奥行50尺(約15m)高さ10尺(約3m)の基壇の前面には、横29尺(約8.7m)奥行10尺5寸(約3.15m)の持ち出し壇を同じ高さに、岩石を以て城郭石垣造りに築き上げられている。
 社伝によると天正年間に池田三左衛門輝政候が、築壇奉納したものと伝えられている。

境内地約4,500坪


長良天神神社の由緒

鎮座地
〒502-0071
岐阜県岐阜市長良1972−1
TEL. 058-231-7703
→アクセス
御祭神
菅原道真公
創 立
不詳(鎌倉時代後期と推定)
由 緒
 長良の氏神さま、天神神社は、菅原道真公を祀り今から約800年前に京都北面の武士から美濃の国の目代に任じられた斎藤家によって建てられました。斎藤家は京都北野天満宮を奉信しており、美濃に赴任し金華山に城を築くと共に守護として、当神社を祀った。
 その後、寛正年間(1460〜1466)斎藤利藤が本殿を造営し、天正16年(1588)池田輝政が社壇を構築寄進し現在も残っている。
 江戸時代になると長良が尾張藩の所領となり、尾張藩や支藩高須城主も亦当神社を尊崇し、藩主代替わりの度に参拝を恒例として篤い崇敬を寄せられた。十代藩主義建侯は二度に亘って神額を奉納されている。
 かく武門の篤い尊崇が寄せられたので郷民の崇敬も亦厚く、長良三郷の惣社と仰ぎ、慶長年間(1596〜1614)に社殿の造営、元和年間(1615〜1623)に拝殿の再建、享和元年(1801〜1803)本殿の造営(現存)、嘉永五年(1852)に拝殿の造営(現存)を奉仕する等、古来より神威の高い神社である。
 昭和34年伊勢湾台風により、森厳な森の大木が倒伏し、社殿が破損し昭和36年復興造営奉賛会が設立され、祭文殿、祝詞殿、社務所、神門、参集殿を新築。翼廊を増築し、境内整備が行われ昭和61年に南大鳥居が竣工し、社頭の尊厳が一新、神威ひときわ高く輝き、現在に至っている。
境内地
約4,500坪
境内神社
正一位辰山稲荷神社