長良天神神社 名誉宮司 木村 照
一月
 一月を和名「むつき」と呼ぶ。新年を寿ぎ一家一族の団欒が繰り広げられることから、睦月の字を宛てられており、又「むつき」の語感には生(産)月に通じ「一年の計は元旦にあり」と云う諺があるように、新しい正月を迎え今年こそと新しい希望を固める、生活意識更新の契期を意味している。神社で行なわれる歳旦祭が、是れを象徴している。
 門松を建てるのは歳神を勧請する意であり、床の間に鏡餅を飾り、神社仏閣に初詣をして新しい年の多幸を祈る風習は、民族の伝統行事と親しまれている。
二月
 二月を和名「きさらぎ」と呼ぶ。如月の字が当てられ、立春の侯とは云え余寒尚厳しく、「着更着」と重ね着をする季節を示していると云われるが、本来は刻(キサラグ)の意であり、農家が田畑を耕し始める季節を表している。また刻むの言葉には新しい営みを創める心が龍もり、立春節分の追儺豆撒きの民族の信仰行事となり、神社で豊作を祈る祈年祭が行なわれるのもこの所以である。

 この時期に活気を励ますように、梅の花が万花に先駆けて咲き始める、梅が菅公と結びつき、生成発展の意気と結びついた、天神信仰は此処にある。
三月
 三月を和名「やよい」と呼ぶ。山野に草木の若芽が萌え始める季節であり、生命の躍動を感ずる候で弥生の字が当てられ、農事では稲の播種期となっている。この時期に行なわれる桃の節句は女性の安産をいのる意味が、起因となった人生儀礼である。
四月
 四月を和名「うづき」と呼ぶ。卯の花の咲く季節とて「卯月」と当てられてるが、本来は植月の意であり、農耕田植えの時期を示唆すると共に、稔りを余祝する祈りの月でもあり、入学、進学と新しい生活が展開する季節であり、神社の例祭が方々で行なわれる。

 当神社の四月五日の例祭で、境内を彩る大木の枝垂桜の下で乱舞する神輿振りは、まさに自然の恵みの中に生きる人の、歓喜の姿を見ることができるのである。
五月
 五月を和名「さつき」と呼ぶ。サツキの花の候と皐月の字を当てているが、本来は早苗月の意で、広々とした青田に豊年を余祝する、歓喜の季節である。

 この時期山野に新緑が輝き、生育の喜びを象徴する「子供の日」の祝日が設定されていることも、故無きに非ずと云うべきである。
 当神社では、地元幼稚園児が集団参拝の行事を恒例としており、これを父兄が出迎えて社頭に群衆し、子供天国の情景が出現することは、天神様が子供の神様と仰がれる、神徳の尊さを感じられるのである。
六月
 六月を和名「みなづき」と呼ぶ。水無月の字を当てるが、無は仮字で水の月の意で、本来は稲田の灌排水に留意をする農耕時期を意味している。

 この月は俗にツユ時と云われ、雨天の欝としい日が続く季節であり、このツユを梅雨の字を当てているように梅の収穫時期でもある。梅干が下痢解毒に必要な健康食品として用いられていることは、民族の生活意識である。
 この梅の収穫と菅公の生誕六月二十五日と時期が結びつき、また梅が好文木と称えられる等、菅公の学徳と梅の繋がりに、深い神契が伺われるのである。
七月
 七月を和名「ふづき」と呼ぶ。昼間の暑さを夕涼みで癒す季節で、夜空に仰ぐ天の川の牽牛織女の星物語で、文学豊かな七夕行事が生まれた事から、「文月」と親しまれているが、本来は「含月」で稲が実を膨らみ始める、農耕季節を意味した言葉である。
 とくに文月の七夕に、詩歌を短冊に記し文筆の上達を祈る行事では、菅公の能筆学徳の遺徳が偲ばれ、天神信仰を深める好機となっている。
八月
 八月を和名「はづき」と呼ぶ。草木の葉が成熟して茂る季節で葉月又は張月の字を当てて、農事暦では、稲田の穂が張り太る季節と称えている。

 この月は立秋を迎えるも、尚酷暑の季節であり、立秋を挟んで夏越の祓が酷暑疫病を免れる「難越の祓」と云う民俗信仰となって、今も神社で行なわれている。
 当神社の夏越の祓では立秋節分の日、造り行灯で照明の夕闇の境内で、形代祓と茅輪潜りの行事が、古式豊かに行なわれ、生け花大会と盆踊りが、夜更けまで繰り広げられるのである。
九月
 九月の和名「ながつき」と呼ぶ。長月の字を当て朝夕涼しくなり夜長を感じる季節感を表した文字であるが、古語の農事暦では「成月」で、稲の成熟する季節である。
 朝夕の涼気はそぞろ郷愁に浸る季節で、当神社の御祭神菅公が、九州太宰府で恩賜の御衣を捧持して、聖恩を追憶されたのも此の月である。
 この月当神社では、御母衣ダム水没の荘川離村民が社頭に集結して、旧氏神海上神明宮を遥拝の御祭を行い、故郷の獅子舞・笠踊りを奉納する恒例行事がある。菅公の郷愁を再現するかのように、心に沁みる情景である。
十月
 十月を和名「かんなづき」と呼ぶ。神無月の字を当てる、無は当て字で神の月の意で、秋の稔りを感謝して神を祭る季節を意味し、水穂の国と謳れた日本の国柄を、最も端的に表現する季節感である。農耕の祖神と仰ぐ伊勢神宮の神嘗祭をはじめ、方々の神社の森には幟幡がはためき、賑やかな秋祭が繰り広げられて、神人和楽の楽土の姿が具現するのである。
十一月
 十一月を和名「しもつき」と呼ぶ。霜月の字を当て、寒さが身に沁みるようになり、霜が降りる時期と云う季節語である。古語の農事暦では「占め月」と当て、収穫の時期を意味している。
 収穫の豊かさは人生に余祝の心を育み、これが育児の成長を祈る「七五三祝」となり、民族の伝統行事として、今も盛んに行なわれている。 子供の神様と仰がれる当神社では、この七五三詣の民俗信仰に対応して、貸衣装・着付・記念写真等の幹施を企画して、参拝者の便を図っている。
十二月
 十二月を和名「しはす」と呼ぶ。師走の字を当て、平素上座に坐している師匠も走り回ると評し、一年を締め括る年末の忙しさを風刺した季節語と云われている。古語農事暦では「為し果たす」と当て、一年総仕上げを意味し、この一年が良か非かは此の総括に懸かっていると云う、生活意識の情意を表現しているのである。
 除夜の年越詣に往年の悔いを残さず、初詣に新年の期待を祈る。ここに神社信仰の姿を見ることが出来る。 この信仰に対処して、当神社では年越詣に氏子総代全員が忌衣を着け、参拝者の神酒拝に奉仕すると共に年始の挨拶を交し、新年は社頭から明け始めるのである。
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